ss

ss

withoutrecord

withoutrecord

rain

rain

kller

kller

cbr

cbr

rts

rts

2013年1月21日月曜日

Something

アメリカ音楽史の歴史を追うと、決定的な意味付けとして歴史的背景による人種と音楽の関係に全て表される。つまりは、アメリカ史そのものであり歴史の存在なくして音楽史は産み出される事はない。

ブラックミュージック。

陸続きのユーラシア各国のどこにでもここまで成し得なかったほど特変的なミクスチャー文化は音楽に限らず「アメリカ」という国の代表的な表現だ。

アジア、ヨーロッパは、個々に特徴的なアイデンティティが音楽や文化に存在し、根強く受け継がれているのに対し、様々な形として完成していった。

アメリカの文化は~というような誤解を招く記事を先述の記事で書いたが、現代音楽のスタートとして、アメリカ音楽はこれまでのヨーロッパ音楽とアフリカ音楽という二つの全く異なった源泉からミックスさせた。このアメリカの歴史的背景には、300年強のアメリカ史の中で特に黒人のアメリカでの環境は、音楽に凝縮されていて非常に重要だと思う。しかしやはり一つ付け加えると源泉があるということ。

人種のるつぼであり文化のるつぼでもあるアメリカは、世界中の音楽文化要素を取り入れ、「融合と移植」という手法で新しい音楽を作っていった。

ダンスというものに携わり、ルーツを探求する中で僅かながらもラテンに深める姿勢を取っている僕が言うのだけども、サルサはやはりニューヨークで生まれたカルチャーである。


これはIn Zaire, Africa 1974 のファニアオールスターズ。ちょうどザイール74の映像があったので。
ドンキングにより興行された正にアメリカ音楽のアフリカ回帰を代表する歴史だと思う。
まだソウルパワー、モハメドアリのザイール戦のドキュメントを見ていない人は、興味があれば見てみて欲しい。
キンシャサの奇跡と言われたこのライブ、僕の中のJBが一番かっこいいと思う場面です。そしてミリアムマケバの魂。そして自身もブラックムスリムの一員として、アフリカンアンデンティティの掲げアメリカの白人社会と公民権運動を闘っていったモハメドアリの最強のエンターテイメントトラッシュトークとも言うべきフリースタイルな一言一言は言葉を奪われるはず。

こうしたドキュメントは、歴史的音楽背景に興味を持つ絶好の材料だと思うし、少なからずドキュメント、映画として、美化している部分もあるがお勧めできる作品達。ファニア押しでいうとエクトルラボーのエルカンタンテも僕の好きな作品の一つ。

 

主演のジェニファーロペスが、自身の制作会社、「Nuyorican Productions」から出したこの映画は、ファニア全盛を飾ったラボーの生涯をピックアップしている。演じるマークアンソニーはサルサシンガーでジェニロペの夫であり、ジェニロペ自身も作品ではラボーの妻を演じ、女優として、制作者として、そしてニューヨリカンとして、この映画でラボーを通じて音楽とアイデンティティーを伝えようとしているのがわかる映画だと僕は感じている。そしてジェニロペの作品中の腰の振りがまた血を感じ、セクシーであり、ダンサーとしても圧巻のシーンにやられてしまうのです。(現在は離婚しましたね。バツいくつやねん。いや人事ではないな。)
にしても数あるアメリカ音楽の中でもニューヨークで生まれたサルサという音楽は中でも特徴を残している気がする。
そして、アメリカ音楽の諸要素のそれぞれ元をたどれば特定の起源に辿り着くという事が実に分かりやすい音楽であるんじゃないかな。

アメリカ音楽の発展から現在まで音楽は常に 融合と移植を繰り返し、形成されてきて、これからもそれは引き続き作り手たちに続けられる。
これは僕の踊りの世界にも言えることでそこには多くの問題を抱えていると思う。
情報のない時代、そこには独自の発展と熱があるが、それは正確性に欠け、06年のYoutubeの登場と共にダンスの価値統一化がマジョリティで行われて世界を占めていく。ネットの普及と共にそれはスピードを増し、しかし裏ではしっかりもう一つの道を模索している人達もいる。それは決してマイノリティというくだらない村八分的な括りではなく、純粋な追及に精魂共に何かを得ようと、または快楽の追求を求めている人達を指している。

 この映像は、00年、Detoursのエンディングの僕的にある意味きっかけとなったターニングポイント。Original Stand AloneのElswhereとそのメンバー、またその親交深いアメリカのアンダーグラウンドのダンサー達によってリリースされた当時VHS。
何気なくアメリカから持ち帰ったこのビデオは、日本でも一部の人の心を掴んでいた事は間違いなくて最近同年代の削りながら踊っていたBBOYの友達の間で再燃(昔話のネタ化)している。

何故かバスケのゴールの上に座りながらBBOYルーツを語るレッグスの内容は、HIPHOPがアメリカのミックスカルチャーの象徴であることを表している。
動物の動き、ヨガ、少林寺、カンフー、ジャズ、サミーデイビスJrのタップ、ミンストレルショーの様な黒さも漂う映像やエンディングの映像を全て個々に映像として持っているマニアックなコアな知り合いも居るが、
そんな人たちとのダンス観はやはり当時は話が盛り上がった。

またここでピックアップされている4人、MIDAS、RAWBZILLA、ELSEWHERE、KUJOは頭から一発で見るとお腹一杯。Othersのメンバーも良いFootageてんこ盛り。(このVHSも誰か返してくれ)
そしてMIDASは、個々最近恰好の酒のネタで、60inchでAppleTVでこれで飲む去年の忘年会でもありました。笑(P氏)

 融合と移植、その中で確実に独特で独立したセンスを出しているこの四人はリスペクトです。




アメリカを代表するニューヨークという存在から生まれたサルサに注目を置いたが、やはりスピリチュアルや黒人霊歌を通り、南部で生まれたブルース、そしてロックとジャズが世界に与えた影響は偉大過ぎる。 南部での誕生と、ニューヨークでの誕生からもアメリカの歴史を伺う事が出来る。

チェスを題材にしたこのキャデラックレコードは、ブルースの誕生とロックの誕生、白人のポップによる搾取とアメリカでの衰退、ストーンズやビートルズ、フリードウッドマックなどを金髪のなよなよ兄ちゃんみたいに例え、ブルースを愛した白人達によるブルーアイドソウルやロカビリーの軌跡も見せラストにはヒップホップのサンプリングとしても使われていることにも触れ、Q-Tipの登場もあり、見応え充分。そしてアメリカでの衰退からイギリスで再燃したチェスの音楽達は、そこで進化を遂げていく流れもまた微笑ましい。同時期に公開されたパイレーツロックもあり、イギリスでのロックの必要性も感じ取ることができるのが僕には嬉しかったです。そしてエタ扮するビヨンセがたまらなく可愛い。
モータウンとダイアナロスとシュプリームスを描いたDream Girlsよりこっちがダントツで好きだな。


死ぬほど痛快で面白いです。坂本龍一教授のスコラで、ピーターバラカンも少し触れていたけど、
当時のイギリスは、本当に海賊ラヂオ船があったというのだから紳士の国イギリスの音楽のメッセージは、凄い。ブルースを糧としたロックはイギリスに渡り、日本も当然ながらアメリカ、世界に向けて届いたのだから。


人が踊りを創めたのは、雨を降らすため魂を沈めるための「祈り」であり、もっと遡ると人間に肉体が与えられたことによって音を感じる事を与えられ、脳という機能で音を解釈し、自分の心を映し出す。そして踊ることを与えられる。

古代ギリシャで生まれたリズムという概念。

自然が作り出す音からインスピレーションを受けた事から人が誕生した楽器。

クラシックの形成による音を楽しむ形となった、交響。

様々な国で続けられている民族音楽。
そこにはその土地の文化が反映され、また公共音楽として社会的な一面とそれぞれのアイデンティティも存在して成り立っている。

僕もそんな音楽や踊りの歴史の中、葛藤の中、今の着地点は「日本人」ということに落ち着いてる。
そして、その中で当時の知らなかったことも学びながらさらに新しいことを学んで、自分の中で新しいダンスを生むきっかけとする中で、当時は知識の限界なんだなと振り返ったり。
今は何かをまた先端に戻しつつ。


上のFelaの動画は、ジンジャーベイカーがアフリカを縦断した際、ナイジェリアでフェラに出会った時の映像。インアフリカというタイトルでDVDにもなっていてTSUTAYAでも発見出来ます。
ジンジャーベイカー自身、アフリカサウンドとのきっかけは、「アフリカ音楽集」などのクレジットのない資料的レコードから60年代初頭に入ったらしいのだが、ドラムという立場からアフリカのリズムに惹かれて行き、吸いこまれていったのは必然だったんだろうなと。

フェラ自身もロンドンで留学中にトランペットジャズを学び、この時にジンジャーも彼と出会い、
インアフリカでナイジェリアにて再会した際に「恋に落ちた」とインタビューで言っていた。

このDVDも更に本当に見応えあって、ジンジャーベイカーの音楽に対する追求と好奇心、今でもそれが劣らない正に「殺気」を感じる。そして、その中でもこのフェラのシーンが、印象的で。
彼らの音に対するアプローチと踊りが、「本物」です。

先日のセッション前に日本酒を飲みながら相方であり先輩の002VRT氏と見ていたのだけれども、
「踊りってアフリカだね。」で話がまとまってしまった。

その後のセッションは、二人で40分と長丁場だったけど、乗り切れた感は、これを見ていて良かったなと思うところがある。

その模様。






ライブペイントのNOAさんは、以前GravytyFreeの時に拝見。Decoも雰囲気良く、声をかけてくれたOnpun/Berry StoneのZaion君に感謝です。DrumのOka君もタイトなグルーブで心地よくまた真っ直ぐに踊れました。






今日もそこそこいい天気。
春の気配が少しずつ。

富山に来てもうすぐ五年。
この五年間一度もアメリカに行かなかった事を最近良く考える。

最後は光を浴びてる感じを受けるAUSのビートメイカー、Dorian Conseptと一昨年ライブで拝見した畠山美由紀さんを今日の一曲に。

0 件のコメント:

コメントを投稿